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2009年9月

2009年9月18日

日本留学フェア(後編)

2009年9月13日。SETEC(ソウル貿易展示場)にて「日本留学フェア」が開催されました。 

午前11時オープンのところ、ホテルからバスで10時前には会場に到着しました。しかし会場前はすでに長蛇の列! これには驚きました。 

ところで、日本から用意した資料(日本のビジネスビザについて説明した韓国語資料)が足りなくなりそうだったので、コピーする必要が出てきました。
SETECには「ビジネスセンター」という部屋があり、大型コピー機が1台ありました。しかし……紙がありません。
そこで会場を飛びだし、地下鉄に一駅乗って、コピーできるところを探しました。ソウルにコンビニはたくさんありますが、コンビニにはコピー機は置いていないのです。 

炎天下の中、となりの駅の周辺のお店を探しましたが、ほとんどまだ開いていません。 
「そうか、今日は日曜日か」 
と気がつき、コピーできないまま地下鉄で会場に戻りました。ちょっと敗北感です。 

午前11時、開場です。ものすごい数の来場者です。ぼくのところにも、貼り紙を見た学生さんが、次々と相談に来ました。 
釜山と同じくソウルでも、各ブースに通訳がつきましたが、ビジネスビザ相談のところには両となりから通訳の人に応援に来てもらいました。 

相談内容もバラエティに富んでいました。こちらが予想していた「人文知識・国際業務および技術」以外にも、在留資格でいえば、医療、技能(スポーツ)、特定活動(ワーキングホリデー)など。 
日本で専門学校卒業後の進路としては、「調理・製菓・美容」に関する質問が目立ちました。 

とにかくあとからあとから相談が来ます。昼ご飯の時間など望むべくも無く、オレンジジュースで脳に糖分を補給するありさまでした。 
それでも相談がうまくいったのは、ぼくのとなりで通訳をしていた学生さんがとにかく優秀だったからです。ぼくもかなり韓国語で説明したのですが、彼は毎回、より正確な分かりやすい表現で補足していました。 

ソウルの留学フェアの来場者数は4500人以上。ビザに関する相談の数は、ぼくが受けただけで、実に52件でした。 

月曜日の午前中まで自由行動でしたが、おもに「本屋のハシゴ」でした。韓国の六法全書とソウル市の区分地図を買いました。あとは地下鉄の鉄橋から「漢江」を眺めたり、工事中の「光化門」や、「光化門広場」を見てびっくりしたり。こうして3年ぶりの韓国旅行(出張)は、無事に終わりました。 

(おしまい) 

2009年9月17日

日本留学フェア(中編)

翌日の12日土曜日は、いよいよ「日本留学フェア」です。目の前の展示場には、大勢の若い女性が。「さすが留学フェア」と思っていましたが、展示場のとなりの区画で開催されていた「ビューティー・整形フェア」に来た人たちのようです。 

広い会場には、日本から大学・専門学校・日本語学校等、そして主催者の日本学生支援機構などのブースが100以上並びます。各ブースには通訳が配置されています。ぼくは「東京都専修学校各種学校協会」のブースで椅子をお借りして、「日本のビジネスビザ相談」といった意味の韓国語の掲示を出しました。
もっとも、通訳の人に「掲示の韓国語(の表現)が間違っています」と早速指摘されてしまいましたが。 

来場者はかなり多く、人気のある学校では来場者がブースを幾重にも取り囲んでいます。ビザの相談は、貼り紙だけのお知らせにしてはけっこう数がありました。それでも割と余裕があり、お昼はとなりの「新世界百貨店」のフードコートに食べに行きました。
フードコートというのは、広いフロアを四角く区切った各辺に、さまざまな料理の窓口が並び、中央の空間にテーブルがいくつも並んでいるレストランです。韓国の都会では今世紀に入ってから一気にフードコートが増えたという印象があります。 

釜山の留学フェアへの来場者は3200人。ビザ相談は17件で、当方で11件受けました。 
フェアが終わると、その日のうちに飛行機でソウルに向かいます。ホテルからすぐバスに乗り、釜山市内を横断するように金海空港を目指します。 

ソウルの金浦空港からホテルまで専用バスに乗り、江南のホテルには意外と早く、午後9時に着きました。

3年ぶりのソウル。地下鉄の路線も増えて、9号線まであります。地下鉄9号線の現在の終点「新ノンヒョン」駅からホテルまで200メートルほどです。この駅の交差点角にも、「教保文庫」がありましたので、午後10時までここで本を探しました。 

少しおなかが空いたので、大通りから一本入った道の食堂に入り「麦ご飯ピビンバ」を頼みました。すると、ちょっとした洗面器(のような器)に入ったピビンバをはじめ、味噌汁代わりの味噌鍋に「おこげご飯」の小さい鍋など、お膳の足が折れるほどの料理の皿が並びました。時間が遅いので量をあまり食べられなかったのが残念です。これで5000ウォン(400円)でした。(後編に続く) 

日本留学フェア(前編)

こんにちは、桑田です。 
韓国の「日本留学フェア」に参加してきました。無事終了のご報告も兼ねて、旅行記風に書いてみます。

韓国に行くのは、3年ぶりでした。
成田空港から釜山・金海空港に到着し、まず驚いたのは両替です。1万円が12万8千ウォンになりました。5万ウォン札を見たのも初めてです。 
3年前は1万円が8万2千ウォン。食費を節約して肉料理は無しだったのが夢のようです。 

日本留学フェアの釜山での会場は、釜山の「センタムシティ」にある「BEXCO(ベクスコ、釜山総合展示場)」です。
宿泊のホテルは展示場の目の前にある「海雲台センタムホテル」です。名前に「海雲台」とあるとおり、センタムシティはリゾートビーチで有名な海雲台(ヘウンデ)と、同じビーチでも猥雑な雰囲気が魅力の広安里(クヮンアルリ)の中間地点にあります。
ホテルは新しく、部屋は広く豪華で申し分ないのですが、ロビーが(ホテルではない、普通の)高層ビルのように狭いです。 

展示場のとなりには、韓国の有名百貨店「ロッテ」と「新世界(シンセゲ)」が並んでいます。「新世界百貨店」の方は、「世界一大きな百貨店」としてギネスブックにも載った、らしいです。 
ホテルでのチェックインのあと夕食まで30分ほど時間があったので、新世界百貨店に行ってみました。 
目指すは本屋さん。ソウルの老舗大型書店「教保文庫」の名前が、新世界百貨店の建物の側面に大きく書いてあったのです。釜山の大きな市街地図を買いました。 

夕食は、広安里海岸に移動。何軒かある「刺身センター」といったビルに入ります。 
いけすに泳いでいる魚を1階で買い付け、2階から8階くらいにあるお店(座敷)で刺身にしてもらいます。 

鯛の刺身がおいしかったです。他にも淡泊な味が良い焼き魚。焼酎が進みます。旅行者には有名なサンナクチ(イイダコ。足が動いている)も出ました。

翌日のために早めに解散、ホテルでのんびりしました。(中編に続く) 

2009年9月 7日

日本留学フェア(韓国)

こんにちは、桑田です。 

今週末は、韓国に出張する予定です。9月12日から13日に韓国で開催される「日本留学フェア」に参加することになりました。 

http://www.jasso.go.jp/study_j/info_fair_korea_2009.html

「社団法人東京都専修学校各種学校協会」様のご厚意で、ビザ相談員として参加します。 
日本から参加される学校関係者の皆さまからの、ビザに関する質問・相談も承ります。 
よろしくお願いいたします。 

2009年9月 1日

専門学校進学相談会

こんにちは、桑田です。 
来たる9月15日、東京・池袋で「日本語学校生のための専門学校進学相談会」が開催されます。 
今回も、ビザの相談員としてお手伝いいたします。 

http://www.tsk.or.jp/html/contents/event/97/news090915.html

当事務所では、このような進学相談会の機会には「日本で就職する可能性がある留学生は、専門学校や大学を決める前に、就労ビザのことを知っておこう」という呼びかけを何年も前から行ってきました。 

現在、「専門学校で勉強しても、その専門職種では就労ビザがもらえない例」というのは残念ながら存在します。そうであれば、専門学校や大学への進学を決める前に情報を得ておけば、日本での就労の機会がなくなるというリスクを減らすことができるでしょう。 
もちろん、就労ビザがもらえないことを理解した上で自分の好きな勉強をしたい、という選択もあり得るでしょう。その場合でも、(就労)ビザに関する情報を得ていることが前提です。 

相談員を続けていますと、このブログを始めた頃に書いたような気の毒なケース(美容師の学校に入った留学生のケースなど)は、さすがにほとんど無くなってきているという実感はあります。 
これからも、留学生自身の将来の選択肢を減らさないためにも、ビザに関する「事前の情報提供」という活動は続けていきたいと思っています。 

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